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2007年06月22日

野次馬

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 実は、この写真を写した場所に、たくさんの人が集まって、同じほうを見ていました。そのたくさんの人のほうを写したかったのですが、、、、、

 渋谷の松涛というところで起きた、温泉施設大爆発事故の現場です。見えている路地のもうひとつ裏側になるので、直接現場が写し出されているのではありません。
 とにかく、場所は東急本店のすぐ近く、ふだんから大勢の人が行きかう場所ですから、きっと爆発が起きたときもたいへんな人だかりであったでしょう。
 ただ、集まっている人たちの表情や態度には辟易しました。「ここからじゃ、みえないな」「もっと奥に行けないのか」「現場が見たいんだよな」と、にやついている人もいれば、面白半分に集まっているような人もいました。
 爪楊枝を口にして能書きを言っている人。女子高生と手をつないでデート気分でいる人。取材に来ているテレビクルーに自分が写りたそうな人。携帯電話で写真を撮る人(私もそのひとり)などなど。
 手塚治虫のマンガに、何か、火事やトラブルが起きたときに、その事件に集まってきた取り巻きの中に、かならず、二本足で立って手をたたいていたり、鼻から息を強く吹き出したりしている馬がいることを思い出しました(ほんとうの馬には気の毒ですが)。
 「品格」という言葉が最近もてはやされていますが、「想像力が欠如している人には、少なくとも、品格はない」と言えると私は思います。
 今年も夏の終わりに、コロキアム(教育支援施設)では、河口湖で合宿があります。いつもは、昼食後、子どもたち(コロキアムではCPと呼ぶ)に、シエスタといって、ラテン系の国で採用されている午睡休憩を2時間とらせているのですが、今年は、呼び名を変えるか、合宿初日のシエスタで黙祷をささげたいと思います。
 事故に見舞われた人たちのご冥福を心よりお祈りいたします。

2007年06月13日

見直したこのブログ

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 昨日、親しい知人に会ってブログの話になって、「ブログやっている人って、どこ行って、何をみて、何を買って、何を食べたぐらいしか書いてないじゃないですか」と言われて、このブログもそうかなあと思って見直してみました。

 この写真は、弊社から歩いて20分ぐらいのところにある新しい美術館です。
 青山墓地をぬけて、外苑東通りを越えたところに、乃木坂トンネルがあるのですが、トンネルに沿っている側道を抜けきらずに階段を下りていくと、新国立美術館の入り口があります。
 坂を上ると、チケットブースが見えてくるのですが、すでに、そこにはたくさんの人。
 横をふたりのサラリーマンが「どっからこんなたくさんの人が来ているの!日本人はほんとに暇だな」と叫んでいました。チケットを購入するときに「今は、館内に入るのに30分待ちです」と言われ、近くのスシ・バーに行って、アボガドのカリフォルニア巻を食べていました。
 しばらくしていくと、それでも、入館20分待ちとありましたが、平日だから、そんなことはないだろうと思いきや、たくさんの人が行列を作っていました。しかも、女性、とくに人生の半分以上は生きているかなと思える女性の多いこと、。
 たくさんのヒトたちは、いったい、この美術館の何を見に来たのだろうと思いました。
 そして、中にはいると、そこはモネ展ではなく、ヒト展でした。
 
 モネの油絵にたかるヒトの群れ。
 モネのタッチのように、細かい一筆が集まって動くかのよう。
 それは、まさに、印象派が目指すところの、並行に描きながら立体感を見せる人の群れ。
 すばらしいヒト展覧会でした。

 そのあと、ミッドタウン東京に行きましたが、数年前、六本木ヒルズの森美術館が開館したときにヒルズで見た人々の絵とさほど変わらないと感じたのは私だけでしょうか?
 どんなに、建物や都が変わろうとも、そこに生きているヒトが変わらないことには、文化は生かされないと思いました。
 以上、ブログでした。

2007年06月06日

耳よりな話

 昨日は、横浜にあるスーパー銭湯というか、天然温泉というか、そういう施設に行って来ました。
それは、安談手会の部活(今年度から安談手が自主的にいろいろなことを経験してみようという一連の企画)のひとつでした。

 2階の受付をすませると、タグのついたリストバンドをもって移動します。私は、5階の岩盤浴で軽く汗を流し、屋上のガーデンチェアで休んでから、足湯につかり、渇いたのどをうるおしてから、4階の男湯に向かおうとしたところで、本日オープンの「耳かきエステ」があることに気がつきました。
 3階の食堂の奥にそれはあり、受付で、リストバンドの番号を告げると、エステルームに案内されます。テレビで、最近、新宿あたりのサラリーマンが、浴衣を来た女性が膝枕で耳かきをするエステに通っているという話題があったので、いったいどういうものなのか、話の種に、行ってみようと思ったからです。
 実際には、エステシャンの服装をした女性が、竹製の小さな耳かきと綿棒とボンテン(?タンポポの種みたいな綿毛のついたもの)を使って耳を掃除した後、耳マッサージを施し、さらにフェイシャルマッサージというつぼ押しをされるのですが、とても気持ちいいのです。それは膝枕ではなく、ベッドの枕にずっと仰向けでした。
 そのエステシャンによると、ひとの耳は、みんな大きさ形が異なるそうで、またひとそれぞれに感じ方も違うそうです。耳かきの専門家から、耳の構造やマッサージのしかたを学び、2ヶ月ほどの訓練をして、本日のオープンに臨んだと言っていました。
 何がおもしろかったかというと、施術の始めと最後に、CCDカメラをつかって耳の中を見せてくれるのですが、大腸内視鏡で、いまどこかではやりのポリープ切除を何度か経験している私は、ふだん自分では見られないものを見せてくれることの面白さと、その映像が肛門から直腸に入っていく光景に似ていたことの驚きから、おもわず「いやー、おもしろいなあ。大腸のカメラと同じですね」とつぶやいたの聞いたエステシャンがなんとも言えない反応をしていたことです。
 結果はどうかと言うと、毎日綿棒で掃除をしているので、きれいになさってますよと言われたものの、実際には、施術のあとでは、たしかに耳の中はきれいになっており、それが目で確かめられるので、とてもよかったです。
 そして、何よりも、フェイシャルマッサージに間に、すっかり寝てしまったのが、頭の中をすっきりさせました。もちろん、さらに耳がよくなった気がしたのは、安談家元としては嬉しい限りです。
 リラックスして、4階の男子浴場で、源泉湯、露天風呂などのいくつかの風呂に入り、サウナで汗をながしてから、ジャグジーに入って、食堂に行くと、安談手会の食事会でした。前もってたのんでおいた団体様メニューに、飲み物を頼みたい人は、それぞれがリストバンドのタグナンバーを告げると自動的にそれぞれの会計につけてもらえるのです。
 安談手会のメンバーもそれぞれいろいろな体験を終えて食事会に臨んでいたようです。そこでは、自分のしゃべりたいことを一生懸命話している安談手たちの話を聞いていましたので、そこは、リラックスする場ではなく、私の仕事場でした。安談手の話を聞くのも、どんな話を展開させるのかを聞くのも、家元の仕事ですから。
 食事会が終わると、もう一度、さっと体を流しに4階にあがり、身支度を整えて、受付に戻ると、それまでの精算ができているというシステム。会計を終えて、今日一日をふりかえりながら、次の安談手会の企画のもとになる連絡をメールでしながら、帰路につきました。
 以上、耳よりな話でした。

2007年06月02日

原罪と経済

 昨晩、長いくだりのエスカレーターに乗ったら、後ろから突き飛ばされて、あやうくエスカレーターを転び落ちそうになった。少し腰の具合が悪かったので、前傾姿勢になったとき、ほんとうにひやりとした。
 後ろを見ると、若い女性が、「ごめんなさい、ごめんなさい」を繰り返したので、許した。手に携帯電話を持っていたところをみると、メールをしながらエスカレーターを降りようとして、私にぶつかったのだろう。

 先日も高速道路で車を運転していたら、前の軽自動車がずいぶんとゆらゆらと蛇行しているので、いねむりしているのかなと思って、追い越しついでに、車の中をのぞくと、女性が運転しながら携帯メールをしていた。最近は、自転車にのって携帯メールをしている姿も見かけるので、ほんとうに、おそろしい。

 私の好きな小説家が、上のようなタイトルのエッセーを書いているのだが、週末のニュース番組で「クジラって食べるんですか?」と驚く女性アナウンサーの話から始まって、時代とともに移り変わる価値観に触れ、動物を売買するのは「人間」ではなく「経済」の仕業という流れのあと、一緒にいて癒される犬について、「それは売買された犬である必要はない」という書き出しの段落が、以下のように続いた。

 あなたが「このあなたが犬(「こ」作者ふりがな)と離れるなんて想像できない」と思っているその感情は、あなたが犬と過ごした時間によって醸成されたものであって、その感情は今あなたが飼っている当のその犬ではなくも醸成させることができた。あなたが抱いている「この犬(こ)以外考えられない」という特別な感情は、その犬でないどの犬との生活をはじめたとしても、「この犬(こ)以外考えられない」と今となっては感じているはずなのだ。

 その小説家は、このあと、人間よりも経済が優勢な社会になってしまったら、動物が売買されることが悪だという認識はいつまでも隠蔽され続けるだろうと、彼の怖れを述べて、エッセーをしめくくっている。
 私は、小説家の想像力というのはすばらしいと思う。なぜなら、私は、彼の「犬」にふってあるふりがなをそのまま「子」と読んで、動物ではなく人間の親子関係として読んでいたからだ。ためしに、上の文章を「犬」を「子」と読み替えて読んでみて欲しい。
 しかも、彼には、たしか子どもがいないと思うので、彼は動物を通して、あるいは動物に対する気持ちを通して、まるで自分の子どもがいるかのような文章を書けるのだ。

 携帯電話でメールしながらぶつかった女性が、ぶつかった相手の男性が、目の前で転がり落ちることを想像することができたならば、エスカレーターに乗る前に、携帯電話から目を上げただろう。
 想像力の豊かな小説家の小説を読むことは、想像力を高める。そして、人もあやめない。
 

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