季節感がずれている

これは、今かぶっているソフト帽です。
この前は、夏に、パナマ帽をかぶっていました。
あたたかくなってきて、帽子屋さんに寄って、聞きました。
「この季節には、どんな帽子をかぶればいいのですか?」と。
帽子屋さんは言いました。「3月、4月にかぶる帽子はないのです」と。
「西洋では、イースターというのがあって、それを機会に、夏の帽子をかぶります。日本の衣替えにあたります。ところが、日本は、6月と9月が衣替えですが、夏が長くなって、5月から夏服にしてもいいという学校もあるし、10月まで暑い日があるじゃないですか。冬も暖かくなってきているので、今の時期から、夏の帽子をかぶりたくなるのだけれど、まだ早いのです。もう少し待つと、色物のソフト帽が入荷するから、それまで、そのソフト帽でいいですよ」と言ってくれたのです。今はこれがいいとか、ぜひこれをどうぞと薦めないところがプロだなあと思いました。
ところで、野菜がとれすぎて、畑でつぶされているのをみなさんご存知ですか?とれすぎると価格が安くなって農家が困るから出荷しないで、つぶすのだそうです。とれないと、今度は値段が高くて、消費者は困るのに。
国が栄えるためには、産めよ増やせよと言って、増えすぎると家族計画とかなんとか言って、少子化の波が来るとエンジェルプラン。まさに、「野菜と同じ」です。
こんなことを言うと、不適切な発言と言われるのでしょうか?情報社会になって、あちこちで、言った言わないの議論が展開していますが、「比喩」がなくなることで、人間の内面世界がいかに小さくなるかを想像したことがありますか?冗談が通じないのも同じです。
「比喩」「類推」「連想」「冗談」がなくなるとき、それは、とても人間関係に潤滑油がなくなるどころか、意思疎通ができなくなることがあります。
子どもだって言うでしょう。「何してんだよ」「息してんだよ」と。
「遊び(リダンダンシー)」がなくなるときの日本はこわいです。







