温故知新

東京の下町にある串揚げやさんが、この春に店を閉じるそうです。
ご覧のように、雰囲気のある油の匂いがかぐわしい、そして店員のきびきびした接客態度、さらには、大将の「レンコン蔵3番さんへ」「ホタテあと一人前」「続けて揚がります」と言った声が響くせまい店ながら、とてもいい感じの店でした。
私も初めて行きましたが、古いたたずまいにあったこの店がなくなるのはさみしいなと思ったら、
なんと、丸ビルに出店するのだそうです。
うーん、それって、どういうことなんだろうと私は思うのです。格子戸をくぐりぬけて、「はい、いらっしゃい」と声のかかる距離にいる大将とめくばせして、今日連れてきたお客さんはどんな客かがすぐわかるような店と、新しい丸ビルで、商社マンの接待に接待に使われたり、地方から初めて上京してきた人が東京に下り立ってランチをしたりする店では、何かが異なるでしょう。
世の中に起きている事件どれを見ても、日本人が大事にしてきた何かを忘れているような気がしてならないのです。新聞沙汰になるような事件だけではありません。この年末年始、いろいろな学校で起きた問題に対処していました。退学相当の問題が、3件も立て続けに起きて、私の安談も緊張の連続でした。おかげさまで、生徒たちは、自分のほんとうの気持ちに向き合えるようになり、みんな学校に復帰しています。子どもたちに大事なことが伝えられていない。そして、大人たちも大事なことを伝えていない。
さて、私も50歳を迎えて、残りの人生で、何かできるかを考えています。
雪印だって、不二家だって、創業者はほんとうに立派だったと聞いています。でも、みんな何かを積み残して、次世代に継いでしまったのだと思います。歯医者さんの家族がおかしいのでもないし、外資系の証券マンが変なのでもない。彼らも、きちんと教わっていないことがあるのです。
私は安談家元として、できる限り、日本人にとって大事なことを伝えていこうと思っています。まずは「粋な安談」の復活からですかね。 1月22日 高山智






